2021.11.11
お話を聞かせてくださった方:奈良県 M様
出産時のことや、産後直後のあなたのお気持ちを聞かせてください。
突然の出産で、緊急搬送され母子共に危険な状態でした。私自身出産したこと(もう本当にお腹にいないのか)を理解するのに時間がかかりました。 小さく産んでしまったこと、お腹の中で育ててあげれなかった事を申し訳なく思い、自分自身を責めました。どうか生きてほしい、そう願うばかりでした。子供との初めての対面ではごめんねしか言えずこの先どうなるのか、病院からは生きられないと説明を受けたので、怖くてたまらなかったです。
ご家族や周囲の人からのサポートで、嬉しかったこと・傷ついたことを教えて下さい。
嬉しかった事・救われた事
夫は私を責めませんでした。 この状態でもし夫から少しでも責められてしまっていたら私自身も耐えられなかったと思います。 信じようと言って子供が大きくなったらこんな事がしたい等の未来ある話をして少しでも希望が持てるよう私の側にいて寄り添ってくれました。
長男(当時6歳)は毎日面会に来てくれ、幼稚園から花を摘んできてくれ笑わせてくれました。「妹は大丈夫、僕の妹だから強いよ!お母さんや家族が信じてあげやなあかんやん」と言って常に励ましてくれました。
傷ついた事・悲しかった事
おめでとうと言ってよいかわからないと言われたり、可哀想だと言われてしまったこと。 生きられるのか?障害が残るのか?何が原因か?等々を産後に聞かれて私もわからない中とてもつらかったです。
赤ちゃんの授乳・栄養法の変化や、面会がどんな風だったかなど、入院中のご様子について教えて下さい。
生後すぐから呼吸器・保育器管理をしてもらっていたので、生後100日ほどは経管栄養で鼻からのチューブでした。 生後すぐはドナーミルクのお世話になりました。(搾乳ができる状況ではなかったので)
私の状態が落ち着いてからは毎日3時間おきに搾乳をしていました。母親としてNICUで頑張る子供に母乳を届ける事が唯一できる事のように思っていました。 GCUへ移動してからは少しずつ自力で哺乳できるようになり母乳をあげる事もできるようになりましたが、子供は哺乳瓶での母乳しか受け付けなかったため、退院してからも搾乳し哺乳瓶であげていました。 コロナウイルス感染前だったので、病院への面会に制限はなく毎日搾乳した母乳を届けました。長男との面会も何度もさせていただきました。
搾乳について、その時のお気持ちやエピソードを聞かせて下さい。
本当に辛かったです。 子供が横にいない中、一人で搾乳しなければいけない事がとても辛かったのを覚えています。 横に写真を置いて搾乳していました。 直接吸ってくれないので、搾乳量が減ってきてしまった。うれしい事に子供が飲む量は増えるが搾乳量は減り複雑な気持ちの時もありました。
冷凍母乳(カネソン母乳バッグ)に関するエピソードや、カネソンへのメッセージがあればお願いします。
母乳バッグには本当に長い間お世話になりました。 長い間我が家の冷凍庫は母乳でいっぱいになっていたこともあります。それを見るたびにこれで子供が少しでも大きくなりますようにと願いながら冷凍していたのを昨日の事のように思い出します。 カネソンさんの母乳バッグで花柄の可愛いデザインのものがありそんな小さな事が辛い搾乳が少しでも嬉しくなったのを覚えています。
サイズも少量のとき、たくさん出た時で使い分けていましたので、容量が違うものを販売してもらっていたのは有難かったです。
当時はリトルベビーの体験談や先輩ママからのメッセージ等がなかったので、そのようなものがあればよかったなと思います。
当時の自分に伝えてあげたいこと、当時に自分に声をかけてあげるとしたらどんなことですか。
出産した時の私は本当に申し訳ない気持ちと不安な気持ちでいっぱいでした。前を向けずに毎日たくさんの涙を流していました。 子供にも笑顔で会えない日がたくさんありました。会える事は嬉しいが、会いに行くのが辛い時もたくさんありました。 そんな当時の自分に、「大丈夫だよ、2歳になった子供は元気に走り回っているよ、笑顔でいてね」と言いたいです。
いまのお子様へ、ひとことどうぞ!
生まれてきてくれてありがとう、生きることを選んでくれてありがとう、私たち家族の誇りであり自慢だよ
(2歳4か月)
現在、赤ちゃんがNICUにいるお母さん・ご家族へのメッセージをお願いします。
ご出産おめでとうございます。 今たくさんの心配や不安を持っておられる方もおられるとおもいます。赤ちゃんを信じてあげてください。今の頑張りは必ず未来へと繋がります!!一人じゃありません、一緒に頑張りましょう!
お話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
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