• 小さく生まれた赤ちゃんとママのお話5 大阪府 S様 / 出生週数 22週6日・出生体重 470g

  • 2021.11.12

  • お話を聞かせてくださった方:大阪府 S様 


    出産時のことや、産後直後のあなたのお気持ちを聞かせてください。

    妊娠初期から毎日出血。 20週3日目に胎盤にも血腫ができているというのとで入院。 22週を越えないと流産という形になる為に 日本では蘇生が出来ないと説明され それでも流れ続ける出血に日々涙しました。 22週を越えて出産をし蘇生しても助かる確率が限りなく低いことや、何かしらの障害は残ると言われ、 22週を過ぎてもこの病院で蘇生を行うのは基本的に22週5日からです。それまでに出産した場合蘇生せずに諦めるかそれとも蘇生をするのかを選択して下さい。 と言われた時が人生で一番辛かったです。大量出血が続いて出産の前日には私自身も輸血をしないといけなくなりました。 結局22週6日になった瞬間に大量出血が止まらず 常位胎盤早期剥離の為、全身麻酔での帝王切開となりました。 「全身麻酔ですからね~」と言われた時に 数日前に、よっぽどの緊急性が無い限り全身麻酔をすることは有りません。と説明を受けていたので、自分は今本当に大変なことになってしまっているという事を理解して震えと涙が止まりませんでした。全ての処置が終わってから名前を呼ばれ起こされると夫が手術室内に入ってきて 手のひらサイズの赤ちゃんが隣のベッドに寝かされていました。 「おめでとうございます」と先生達に言われ、 本当にこれは「おめでとう」と言えるのか。 悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。 その後病室に戻り2度目の輸血をされながら 電気もつけずに1日天井を見ながら泣き続けました。 「私がお腹の痛みにたえていたら、出血したことを伝えなければ、あの時動いていなければ」 考えても仕方が無いことをひたすら考え続け あんなに蘇生を願った命なのに これから先起こるであろう事を想像して 恐怖と不安で心がいっぱいになりました。 「知らない世界にたった一人置いていかれた気分でした」


    ご家族や周囲の人からのサポートで、嬉しかったこと・傷ついたことを教えて下さい。

    家族からは「今までよく頑張ったね!」「お疲れ様!」「絶対大丈夫やから」と励ましのメッセージなどを言ってもらい心が少し救われました。 でも看護師さんや先生達が病室にはいってくる度に「おめでとうございます!」と言ってくれるのですが、当時はそれがとても辛くてたまりませんでした。 出産後すぐに、寝たきりの私のおっぱいを 母乳を出す為に看護師さん達が3時間に1回 搾乳(マッサージ)しに来てくれたのですが 1人目の出産直後は大量に母乳も出ていたのに 2人目の今回は早産すぎる為か、全然搾れず、 その現状にも普通の出産との違いを感じて辛くて辛くて心が張り裂けそうでした。


    赤ちゃんの授乳・栄養法の変化や、面会がどんな風だったかなど、入院中のご様子について教えて下さい。

    小さく生まれた赤ちゃんには腸などの問題から ミルクは使えないので母乳を出す必要があります。 最初はシリンジにわずかに出る母乳を吸い取らせ、量が増えてきたら瓶へ、それを3時間毎に夜中も看護師さんが起こしにくるので30分搾乳しては、NICUに届けていました。 授乳ができるようになるまで私は約5ヶ月弱かかりました。 それまでは面会の度に搾乳したての母乳を綿棒に染み込ませ口元に持っていき、味や匂いを毎日覚えてもらいました。 小さな綿棒をチュパチュパする姿が可愛くてたまりませんでした。

    (初めての手のひら抱っこ)


    搾乳について、その時のお気持ちやエピソードを聞かせて下さい。

    どんだけやっても搾乳だけでは出ないおっぱいに それでも搾乳しか娘にやってあげられることが無くて... 泣きながら毎晩搾乳していました。
    本当なら赤ちゃんが泣いて、そこで起きて母乳をあげる新生児の頃。 赤ちゃんは病院で、泣き声に起こされるのではなくて アラームをかけて自分で起きる。 出ないおっぱいを出るようにする為に ひたすら30分以上搾り続ける。 そんな日々でした。
    2ヶ月頃から2時間に1回搾乳して刺激を与えていた事もあり母乳が出だして、途中、病院から 未熟児で生まれて母乳を必要としている赤ちゃんが沢山居る でも、ママが色々な理由で母乳を出せない・・・。 そんな赤ちゃんの為に私の母乳を提供してもらえないか。 その分搾乳も頑張って続けてもらわないといけないですが・・・。とお願いされ、ドナーミルクの提供者にもなりました。 私の母乳で助けられる命があるならば!と了承し、娘が退院するまでの間、他の赤ちゃんの為にも搾乳をしていました。


    冷凍母乳(カネソン母乳バッグ)に関するエピソードや、カネソンへのメッセージがあればお願いします。

    とにかく出ない母乳を出す為に2時間~3時間おきに搾乳。 1日最低でも8回は搾乳していたので母乳バッグの消耗も1日8枚。それが7ヶ月間。 二カ月ほど経ってから母乳も沢山出るようになった為、容量が大きい物と小さい物を併用していました。使用しやすい量をいれれる母乳バッグの種類があるカネソン製品を使用することが多かったです。 衛生面なども考えられている構造でお値段も安くて言うこと無しです!! とてもお世話になりました。
    カネソンさんは100ml入る ・赤ちゃんの体重によって与える母乳量が変わるのですが、50mlや100mlがちょうど良い ・つまみがついていて開封がしやすく衛生的
    もし母乳バッグをどれにしようか悩んでいるママが居たら私はカネソンさんをオススメさせていただきます!!


    当時の自分に伝えてあげたいこと、当時の自分に声をかけてあげるとしたらどんなことですか。

    自分を責めて責めて責めて、 あの時こうしていれば...など未だにふとした時に思ってしまうことは有る。 沢山の事を乗り越えなければならないし 子供にも頑張ってもらわないとダメ。 簡単な道のりでは無いし涙することも沢山あるけど 本当に赤ちゃんの生命力は凄くて みんなが驚くぐらいの奇跡を沢山起こす。 あの時、この命を諦めたくない!と思って 信じた命は今もずっと奇跡を起こし続けているよ。 信じて。笑顔で。絶対に乗り越えられるから。 「おめでとう」と心から思える日は来るよ。

    (1歳Birthday!!)


    いまのお子様へ、ひとことどうぞ!

    22週6日470gで生まれたのにも関わらず お姉ちゃんを泣かせてしまうぐらい 強く元気に成長してくれているあなたに ママは沢山の事を学ばせてもらいました。 命の重さや大切さを改めて考えさせられるキッカケをくれたあなたのお陰で、ママの人としての経験値はきっとすごく高くなって、誰よりも得をした人生だなって思います。 いっぱい頑張ってくれてありがとう。 奇跡を起こし続けてくれてありがとう。 これからも一緒に成長していこうね。

    (1歳2ヶ月 修正10ヶ月)


    現在、赤ちゃんがNICUにいるお母さん・ご家族へのメッセージをお願いします。

    私は「大丈夫/頑張ろう/おめでとう」 そう言われるのが辛くてしんどくて悲しくて たまりませんでした。 きっとみんなが思うこと。 「まさか自分がこんな経験をするとは思っていなかった」 一人違う世界に取り残された感覚で 何で普通に産んであげられなかったのだろう。 そう責めてしまうママも多いと思います。 その気持ちが無くなる事は無いかもしれません。 ですが、未来は明るいです。 ありのままの姿で輝ける未来は待っています。 一人で悩まず、周りの人を頼って下さい。 早産にはなったかもしれないけれど このタイミングでの出産が 赤ちゃんにとってもママにとっても 絶対一番だったんです。 だから明るい未来に向かって 赤ちゃんと共に乗り越えて進んでいきましょうね!! 沢山のリトルベビーの家族が応援しています。

    お話を聞かせて下さり、ありがとうございました。

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