• 小さく生まれた赤ちゃんとママのお話16 宮崎県 O様 / 出生週数 23週2日・出生体重 587g

  • 2022.02.16

  • お話を聞かせてくださった方:宮崎県 O様




    出産時のことや、産後直後のあなたのお気持ちを聞かせてください。

    高位破水からの子宮内感染で緊急帝王切開になりました。障害のリスクを聞かされた上でお腹を開かれたので何もかも気持ちが着いて行かない状態からのスタートでした。気分は最悪。助けてくれた先生にすら憎悪の気持ちで一杯でした。お腹にいる内に一緒に死んでしまえば良かったと思う程精神状態は普通では無かったと思います。


    ご家族や周囲の人からのサポートで、嬉しかったこと・傷ついたことを教えて下さい。

    周りの親族からは励ましの言葉は沢山いただきましたが、何も響かないし覚えてません。毎日自殺する事ばかり考えていました。同じ境遇のママからの言葉が欲しかったです。傷付いた事はありません。かなり気を使われていたと思います。寧ろ私の方が周りを傷付ける発言をしていたと思います。




    赤ちゃんの授乳・栄養法の変化や、面会がどんな風だったかなど、入院中のご様子について教えて下さい。

    勿論母乳でないと胃に負担が掛かり消化出来ずに壊死性腸炎で死亡するか人口肛門になると言われました。産後3日目から搾乳生活が始まりました。産後うつで精神科に通院していた為服薬があったので3ヶ月で母乳を諦め、人工ミルクに変えてもらいました。修正30週頃になると母乳でもミルクでも大差無いようです。修正35週頃まで経管栄養で退院までには経口哺乳が出来るようになりました。面会はコロナの影響で週に1回15分のみです。会えない時間が長いので母乳も枯渇傾向にあったかもしれません。最初は会いに行っても会いに行かなくても辛かったです。


    搾乳について、その時のお気持ちやエピソードを聞かせて下さい。

    赤ちゃんも傍にいないのに3時間おきの搾乳生活です。辛くない筈がありません。母乳を出さなきゃ子供が死ぬという言葉に囚われていたと思います。しかし精神状態も良くなかった為夜中泣きながら1人で搾乳して朝方は搾乳用の哺乳瓶を壁に投げ付けてもう嫌だと泣き喚いていました。


    冷凍母乳(カネソン母乳バッグ)に関するエピソードや、カネソンへのメッセージがあればお願いします。

    母乳バッグは最初何を使って良いか分からず他メーカーを使っていましたが、他のママ達の母乳バッグを見てみると皆さんカネソンさんでした。私も途中からカネソンさんに変更し愛用させていただいてました。後、低体重ママのサークル内でカネソンさんから活動の協賛金を支援していただけるという話になった時に、担当の方から温かいメッセージをいただいた時涙が出てきました。その方も辛い搾乳生活を経験されたと言う事で言葉には重みがあり、私達の力になりたいという気持ちが充分に伝わってきて母乳バッグはカネソンさんを愛用してて良かったと心の底から思いました。


    当時の自分に伝えてあげたいこと、当時の自分に声をかけてあげるとしたらどんなことですか。

    辛い思いをしているのは1人じゃないよ。 私の子供は私が思っている以上に強く 生命力溢れる子だった。 搾乳も辛ければ止めても良い 弱音を吐いて周りを頼っても良い 将来の不安も募って落ち込むけれど、とことん落ち込みきったらそれ以下は無かったよ 私の心を支えてくれる心強い同じ境遇のママ達とも沢山繋がれるよ。大丈夫1人じゃないよ。




    いまのお子様へ、ひとことどうぞ!

    ママの心配とは裏腹に沢山の壁を乗り越えてきた強い子。まだあなたと生活を共にしてたった数ヶ月です。これから何年何十年と私は私を責め続けるのだと思います。あなたが産まれた意味や理由をあなたと成長して行く中でかけがえの無いものだったと気付く日が来るのでしょうね。ゆっくりママと探していこうね。



    (生後6ヶ月 修正月齢2ヶ月)
    現在、赤ちゃんがNICUにいるお母さん・ご家族へのメッセージをお願いします。

    急な出産で戸惑って自分を責めて周りの家族や産まれた子供にもごめんねと涙を流している日が続いてる事でしょう。こんなに小さく産んだのは私しかいない。こんなに孤独なのは私しかいない。どうか助けて下さいと藁にもすがる思いで過ごしているママもいらっしゃると思います。私はそうでした。私は経験もした事の無い人から放たれる「大丈夫」が大っ嫌いでした。けど経験した私が言います「大丈夫」です。ちゃんと大きくなっていけます。子供を信じましょう。



    お話を聞かせて下さり、ありがとうございました。


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